ZAP SPEED RACING TEAM |
2003年1月25日、日本中のどこよりも早くFJ富士シリーズが開幕しました。なんでも9月からのコース改修のため、異例の1月開催となったようで。 1966年のサーキットオープンより、76、77年のF1日本グランプリをはじめ数々のビッグレースを開催してきた富士スピードウェイ。ここでは長い歴史の中、数多のドラマが繰り広げられてきた。このようなサーキットでレースが出来るなんて、まさにドライバー冥利に尽きる!心なしか、背後にそびえる富士山が、僕を勇気付けていてくれてるようだった。ま、あくまで気のせいではあるが。 24日(金) 練習日 前日までの無茶な大雪もコース上には残っておらず、天気は快晴日本晴れ! 金曜日にサーキット入りした僕の課題は、とにかく短い時間でサーキットを攻略し、セットを決めることでした。走行本数はわずかに2本。否が応にも気合が入る。 しかし1本目の走行は全く振るわず、頭を抱える事に。そこに登場したのが昨年のFJ東北・もてぎチャンピオンの小林選手!小林君の的確なアドバイスのおかげで、2本目はわずかながらも自分なりに手応えをつかむ事ができました。普段は少々謎の行動をとる事が多い小林君も、いざという時は頼りになります(笑)。 25日(土) 公式予選 今回のレースは2DAYのため、土曜に予選が行われました。朝のウォームアップ走行ではなんだか走りがギクシャクしてしまい、いまいち乗れず不安が残ります。対照的に昨日よりずっとトップタイムを出している#51の関選手は今日も速い!調子が良さそうで何よりです。。。予選が開始となり、いざコースイン!富士はとにかく頭を使って走ります。他のマシンのスリップをうまく使うために間隔を開けたり、集団を探してみたり。な〜んて事をやっているうちに、関選手が単独走行でトップタイムを叩き出しているではないですか!「こりゃいかん!」と思い、僕は他の選手のスリップを使いトップタイムを更新。しかしとあっさり更新され返され、そのままチェッカー。あぁ無情。予選結果は2位、ポールはやはり関選手ですがタイム差が予想以上にあることにビックリ!こ、これはマズイ。。。 26日(日) 決勝 いよいよ決戦の時となりました。本日のFJは午後まで何もすることがありません。ピット周辺に漂うまったりムード。たまりません。 しかし、決勝時間が近づきエンジンに火が入ると一気に緊張感が高まります!気合を入れマシンに乗り込みグリットへ並び、フォーメーション前の静かな時にじっと考えます。「とにかく離されたら終わり、死んでも食らい付いて前に出る!」そう何度も自分に言い聞かせました。 そしてスタートの瞬間。全神経をシグナルへと集中させる。赤から青へ!「決まった!」僕は関選手に並ぶ。対する関選手はミスした模様。一気に僕が前に出た!そのままの状態で1コーナーを通過。しかしヘアピンのところまで来てまさかの赤旗。1コーナーでクラッシュがあったようで、無情のスタートやり直しとなってしまいました。 気持ちを入れ替え再度スタートに臨みます。集中、集中。もう一回決める!と思いスタート!しかし今度は気負いすぎて痛恨のミス!ポジションキープで1コーナーヘ。序盤は関選手に食らい付いて行き、後続が離れたところで勝負しようと思い、後ろに張り付く。しかし思いのほか関選手のペースが上がらない。後ろからも来てるようだし、やはり僕が前に出てしまおうと予定を変更し3周目のストレートで抜きにかかる。しかし横には並ぶもののなかなか前には出れない。こんなことを何回か繰り返し、やっとの思いでトップに立ってみたもののその周のホームストレートですぐに抜き返される。「何とかしなければ。。。」僕は少ない脳みそをフル回転させながら展開を考えました。もはやエンジンより先に頭がオーバーヒート寸前といった状態。最後のストレートで勝負しようと考えたが、結局最後は合わせきれずに2位のままチェッカーを受けました。 今年最初のレースということで、ぜひ勝って幸先良いスタートを切りたかったのですが、残念です。しかし!いろいろと課題が見えてきて、やるべき事がわかったのは大きな収穫でした。この経験を次の勝利の糧とすることを心に誓い、富士を後にする遠山でした。。。めでたし、めでた・・・くないな。 (←前のページへ戻る) |
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