ZAP SPEED RACING TEAM |
このコラムのVol.16でZAP SPEED初のチャンピオン望月選手の事を書いたが、先日また一人結婚をした。1998年筑波FJ選手権シリーズチャンピオンの藤澤彰彦選手だ。 彼はチャンピオン獲得の前年筑波のレーシングスクール系のチームから移籍して来た。その年はZAP SPEEDの山口明選手が筑波のシリーズチャンピオンを獲得し、陰に隠れる形となったが、翌年の1998年度は開幕から5連勝をし早々とチャンピオンを確定し、鈴鹿シリーズへ初遠征に行き、鈴鹿シリーズデビュー戦で優勝するという手の着けられない速さと強さを身につけていた。この年、前年度の筑波シリーズチャンピオン山口明選手はJ.S.S(ジャパンスカラシップシステム)のスカラシップ(奨学制度)を獲得しF-4へステップアップすると同時に、当時ZAP SPEEDの参戦していなかったF-T(フォーミュラートヨタ)に他チームより参戦していた。この二人は非常に仲が良く、サーキットでもガレージでも何時もじゃれ合っていたのを記憶している。結婚式でも山口選手が受付をしていた。 このころ、藤澤選手は常に自分の自家用車であるマーク2のバンに、煎餅布団をひいて寝泊まりしレースに参戦していた事も記憶している。残念ながらその年のスカラシップは日本一決定戦の際追突をされ獲得出来なかったが、エンジン屋さん等が協力をしてくれた御陰でF-4へステップアップする事が出来た。しかし、資金不足によって、完調とは言えない6年落ちのマシンで、善戦はしたもののタイトルは獲得出来なかった。 また、同じ年ZAP SPEEDではF-Tマシンを購入。初参戦をする事になった。このスポットでの初参戦で起用したのが藤澤選手だった。2回のスポット参戦では、既に他チームから参戦していた山口明選手に前を走られる事無く意地を見せたのが印象的だった。 しかし、この二人にはもう一人のチーム内ライバルが居た。山口明選手と同じ年に東北・もてぎシリーズチャンピオンを獲得した工藤和明選手だ。山口明選手と鈴鹿に初遠征し、その年の鈴鹿チャンピオンと三つ巴でトップを争い、最終ラップのヘアピンでチームメイト同士接触し、1-2Finishを逃してしまった。二人とも意地がある故の事なので、チームとしてはどちらも責める事が出来ないが、非常に残念であった。F-T初年度スポット参戦は工藤選手と藤澤選手を交互に起用し、優勝・2位・3位・6位と、テスト参戦では充分な成績を得ることが出来た。後年、小暮卓史選手の参戦に充分なデータも得られ、彼等の活躍によってZAP SPEEDの名前も浸透した。 その後、山口明選手はF-3へステップアップしたが、藤澤選手はF-3へは進めなかった。この原因は私にあると思っている。 当時でも、現在と同じようにドライバープロデュースを考えていたが、その時点では本人へ説明が上手く出来なかった。結局、藤澤選手は満足なスポンサーを得ることが出来ず、F-3への道は閉ざされてしまったのだ。もしも、現在のようにFJの練習開始時点からしっかり営業活動の必要性を啓蒙し、初期の段階から実践させていれば彼のレース人生も変わっていたかと思うと自責の念にかられる。また、最初からZAP SPEEDで活動を開始していれば彼のレース観も違っていたかもしれないとも思う。 このことから私は『二度と才能を埋もれさせないように』と強く思い、当時にもまして所属ドライバーに口うるさくサーキット以外での活動の重要性や、周囲への報告の必要性を言うようになった。藤澤彰彦選手は間違えなく歴代のZAP SPEED出身ドライバーの中でもトップクラスの才能を持ったドライバーだった。 すまない気持ちから、披露宴では何も言えなかったけど、この場を借りて…。 「藤澤、当時は未熟ですまなかった。レースでは何もしてあげられなかったけど、何かあったら何時でも相談においで。持ち前の明るさを大切に明るい家庭を築いてください。スーパー耐久もがんばれよ。」 (←前のページへ戻る) |
□■ 笹川健志 □■
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